こんなことがありました!

鉛筆 野口博士と感染症

 今、世界中に大混乱を巻き起こしている新型コロナウイルス感染症。多くの人々が感染し亡くなる人もたくさん出ています。感染しなくても、仕事や学校に行けなかったり、自由に外出ができなかったり、みんな不自由な生活を送っています。でも、一生懸命、患者さんの治療にあたるお医者さんや看護師さん達がいること、そして、新型コロナウイルスを退治するための薬を開発しようと、日夜がんばっている研究者達がいることも決して忘れていけないと思います。
 こうした状況の中で最近よく思い出すのが、郷土の偉人、野口英世博士のことです。博士も、人々の命を救うために、感染症と闘った人でした。 博士が42歳の時、南米エクアドルで黄熱病という病気が大流行しました。博士は、エクアドルに向かい、この病気の病原体を見つけ、野口ワクチンという薬を作りました。このおかげで、人々の命は救われ黄熱病は収束しました。それから、10年ほど経った時です。今度は、アフリカで黄熱病が流行しました。博士の作ったワクチンがあるから大丈夫と思われたのですが、それが効かないというのです。博士はすぐに、アフリカのガーナに出かけ研究に取りかかりますが、道半ばにして自身が病に倒れ、51歳の生涯を閉じます。博士が亡くなった後、エクアドルで流行した病気は黄熱病ではなく症状の似たワイル病という病気であったこと、そして、黄熱病の病原体は、博士が使っていた当時の顕微鏡では到底見つけることのできないウイルスであったことがわかりました。結局、博士は、黄熱病を治す方法を見つけることはできませんでしたが、たくさんの人々の命を救ったこと、そして、人々のために命がけで研究を行ったということは紛れもない事実として歴史に残りました。博士が亡くなって今年で92年になりますが、エクアドルの人々やアフリカの人々が、野口博士を尊敬し感謝する心は、今もかわりません。