こんなことがありました!

鉛筆 「会津 絵ろうそくまつりーゆきほたるー」

 2月12日(金)学校からの帰宅途中、会津若松市の御薬園で行われた「会津 絵ろうそくまつりーゆきほたるー」を見てきました。この祭りは、今年で22回目になるそうです。ここ数年続けて金曜日の仕事が終わって帰宅する途中に立ち寄っています。御薬園は、通勤路にある上、見物する人の数が少ないので、短時間で自分のペースで見学できるのがとてもよいです。今年は、コロナウィルスの影響で、私が見学しているときに御薬園内にいた人の数は10人に満たない人数でした。それでも、入場の際には、氏名や連絡先を記載したり、前の人と間隔をあけて入場したり、見学のコースも一方通行だったりと様々な対策がとられていました。一歩、御薬園に足を踏み入れると、中は静かに流れるBGMと池に流れる水音以外は聞こえない静かで幻想的な雰囲気に包まれていました。ほんの少しの時間でしたが、会津のすばらしさを再認識する時間になりました。

 写真をアップします・・・・

 この絵ろうそく祭りは、翌日土曜日も午後5時30分から午後7時30分の2時間開催され、最後は花火が上がりました。 花火の写真もアップします。自宅2階から撮影しました。

 会津絵ろうそくについて・・・・・

 会津でのろうそく作りは、室町時代にさかのぼります。当時の領主・芦名盛信が漆樹(うるし)の栽培を勧め、漆塗りとともにその実から採れる蝋(ろう)でろうそくを作らせたことが始まりといわれています。その後、安土桃山時代の武将である蒲生氏郷が豊臣秀吉の命を受けて会津の領主になると、近江よりろうそく職人を呼び寄せて品質の良いろうそくが作られるようになり、花の絵が描かれるようになったといわれています。会津絵ろうそくは、貴重なろうそくの中でも珍重されようになり、江戸時代には最高級品として、参勤交代の度に江戸に持参され、天皇、公家へ献上したり、諸国大名へ売られたりし、仏事や婚礼などの冠婚葬祭用として使われました。特に、「南天と福寿草(難を転じて福となす)」が描かれた絵ろうそくを時の将軍徳川綱吉に献上したところ、大いに喜ばれ、日本中に広く知られることになったそうです。昔は挙式と披露宴を家でおこなうことが多く、日が落ちてから大勢の客を招いての祝宴をする際、身分の高い人々の間で絵ろうそくが使われ、その華やかな様子を例えて「華燭(かしょく;華やかなともしびの意味)」という言葉が生まれたという話もあります。(参考資料;「HP会津絵ろうそく」「HPふくしまと八重」)