こんなことがありました!

鉛筆 涼しい朝です。(「算額」について )

 8月14日(金)、夏休み16日目。涼しい朝を迎えています。虫の声も盛んに聞こえてきます。今日の北塩原村の日の出時刻は午前4時55分、今日もかなり暑くなりそうですが、立秋はとうに過ぎ、確実に秋は近づいているようです。美しい裏磐梯の秋、楽しみです。

 

 さて、今日は、算数のお話をしたいと思います。夏休みの算数の宿題は終わりましたか? 算数は好きですか? 算数の楽しさは、なんといってもあれこれと考え、問題が解けた時の爽快な気持ちではないでしょうか。実は、日本人は、昔から算数をゲームみたいにして楽しんでいたのです。

 左の写真は、昔の人がかいた算額というものです。算額とは、神社やお寺に奉納した数学の絵馬や額のことです。数学の問題が解けたことを人々は神や仏に感謝し、この算額を奉納しました。こうした人々の中には難問や問題だけを絵馬にかいて答えをかかないで奉納する者も現われました。そして、その問題を見た人は、一生懸命に解答を考え、算額にしてまた奉納したのです。「どうだい、この問題を解ける者はいるか。」「そんな問題、簡単さ。こうやれば答えが出てくるよ。」まるで数学の問題をゲームのようにして楽しんでいたのでしょう。この風習は江戸時代中頃から始まり、現在全国に1,000近くの算額が残っています。この算額に書かれた数学は、和算と呼ばれる江戸時代に生まれた日本独自の数学です。

 私が、この算額に興味を持つようになったのは、田村市船引町の小学校に勤務していた時の事でした。学校近くの神社には、算額が奉納されている神社が複数ありました。なぜかというと、隣接する三春町に佐久間庸軒(さくまようけん)という和算の学者がいたからです。佐久間庸軒、どんな人かというと・・・【江戸時代後期から明治時代にかけ活躍した学者で、幼い頃から父の影響を受け算学を勉強し、17歳で『当用算法(とうようさんぽう)』という本を書きました。江戸時代末期には、三春藩の藩校「明徳堂(めいとくどう)」で先生をしていました。明治時代に入り県の職員となり測量を行っていましたが、自分だけが国のために働(はたら)くより、算学を教えて多くの人が国のためになるよう、生まれた石森【旧船引町】にもどり、塾を開き、農民を中心に2,000人の弟子に教えました。(うつくしま電子事典より)】
 

この庸軒やその弟子たちが、地元をはじめ各地の神社やお寺に、算額を奉納していたのです。